【好きな時計を長く使いたい。だけど…】
小学生が沢山いる公園でイチャイチャするカップルに、十代の頃は嫉妬していた。
二十代には大人ぶって、公然とイチャつくな!なんて思っていた。
只今、三十代後半。何も思わなくなってしまった。
何だろうなこの気持ち。
いや、どちらかといえば、やめてほしいよ?
だって、子供達が遊んでるんだから。
いや、子供達が見ているから。
公園で遊んでいるのが自分の子だと思うと、なんとなく嫌じゃん。
でもまぁ、ね。一番近い言葉は無感情。だよね。
なんの話って。時計の話。時計そのものよりも、むしろ自分の価値観とか、好みの移り変わりの話。
時計が好きになりたての頃って、機械式時計万歳だったんですよ。
安価でも、身に着ける時計は機械式以外あり得ない!みたいな思考の時期があったんですよね。
その頃の自分は、クォーツアレルギーだったと私は思っている。

ところが、今の私の時計選びはどうだろう。
どちらかといえばデザイン重視で、ムーブメントは特に気にしていない。
今はね、涼しくなってきたし、薄いドレスウォッチを探しています。
薄くて使いやすくてデザインが好みであれば、機械式でもクォーツでも、どちらでもお迎えしたいマインドでございます。
逆に、機械式に拘ってデザインは私的に65点位の時計を購入した事もあるけど、そういう時計は例外なく売却してしまったなぁ。
この好みの移り変わり、時計好きの弊害が出ていませんか?笑
私は安価な時計でも、一生使うつもりで買っています。ハミルトンも、爺さんになった自分が使うイメージが出来た上で購入しております。
それなのに、数年後の自分の好みがガラッと変わっていると思うと恐ろしくなってくる訳ですよ。
「時計はいったい、我々に、いつまで買い続けさせるつもりなんだ…。」と、時計好きとして思う訳です。
だからこそ、同じ時計を何十年と使い続けるお爺さんを見ると羨ましくなるんです。
修理だって、メンテナンスだって、安くはない筈です。それでも新調するんじゃなくて、使い続けるという選択。
それって、上がり時計って事じゃない?
いや、時計そのものが「上がり時計」なのではなくて、持ち主がその時計に飽きずに使い続けられることこそが、上がり時計なのかもしれない。
「上がり時計は存在しない」なんて言われるけれど、何十年も同じ時計を使い続ける人を見ると、私はその人自身が羨ましいんですよね。強烈に憧れている訳ですよ。

いつか一生使う時計に出会うのが理想だけど、結論。好きな時計を永遠に買い続ける運命を受け入れるしかない。
コレですね 笑
…
公園でね、イチャイチャしてるカップルがいたんですよ。ベンチに座ってさ。周りに小学生が沢山いるのに。
…その光景を見てこの記事を書こうと思った私は、時計好きというより記者になりかけてない?
