家族の時間

【次女が産まれるまでの1年間。妻と、長女と、私。】

トキノート

2022年2月
コロナ禍ど真ん中で、冬季オリンピックが北京で開催されていた。
それこそ、コロナの影響で1年延期された東京オリンピック。その余韻もまだ残っていた。
普段、動くのが面倒くさくてメタボな私も、スポーツ観戦は好きなんですよ。

だけど、当時の我が家はオリンピックどころではなかった。


二人目の子供を授かったのだ。

んも〜、忘れられないあの1年。

夫婦間でずっと「子供は2人欲しいよね」という会話があって、長女誕生から3年で待望のご懐妊。
「妊娠してた…!」妻から報告された日を覚えている。
ただただ嬉しかった。
長女の時も、次女の時も、ただただ、嬉しい。


長女を身ごもってから出産までの流れが鮮明に記憶に残っていたので、この後の流れも何となくの想像は出来ていた。

しかし、そんな想像を遥かに超える壮絶な日々の始まりでした。

妻の(つわり)の日々です。

ただ見ていただけの私がこんな事言って何になるんだと思いますが、つわりで苦しむ妻を見るのは辛くて辛くて堪らなかった。
覚えたのは己の無力さ、という月並みすぎる感情。
本当に何も、何ひとつしてあげられない無力さ、長女の時よりも強力に思い知りましたね。

日に日に痩せていく妻。
食べる事はおろか、料理の匂いも駄目。すぐに気持ち悪くなってしまう。

近くに住む義母が手伝いに来てくれた。現役で働いているが、仕事終わりに夕飯と翌朝の朝食を作ってくれる。
妻が動けない時期の私と長女の健康を守ってくれたのは義母のご飯でした。

私が仕事を終えて帰宅すると、リビングに妻の姿がなかった。
食卓に長女と義母の2人。
妻は料理の匂いを避けるために2階の寝室に避難していたのだ。
「おかえり〜」と私に伝えるためだけに階段を降りてくる妻。
「だめだ〜」と寝室へ戻る。

その後、栄養不足で危険だということで妻は入院する事になった。
入院中は少し元気になったようだった。テレビでオリンピックの観戦を楽しむ程度には回復し、ひとまず安心した。
が、コロナ禍で面会はもちろん不可。
まだ3才だった長女は寂しくて寂しくて、可哀想だった。


朝、幼稚園の入口で私の腕や足にしがみついて離さない長女の姿はあの時期だけの事だった。

だけど確実に成長した時間だったんじゃないかな。もうすぐお姉ちゃんになるんだもんね…!
「つよくならなくっちゃ!」なんて娘は言わないけれど、8歳になった現在、4才の妹を守ってくれているのは間違いなく事実。
めちゃ喧嘩するけど 笑

退院した妻は、少しずつ食事をする事が出来るようになり、お腹の赤ちゃんも元気なようだった。
痩せ細り、それでも家族を思い気丈に振る舞う妻の背中は、私に父の覚悟を改めて考えさせるには十分な姿だった。

2022年2月末。
立ち合いもない分娩室で妻は戦い、次女が誕生した。
深夜に誕生したと知らせを受け、それまでソワソワして眠れてなかった私の瞼はますます覚醒した。
隣でスヤスヤ眠る長女のほっぺたに顔を埋めるようにキスをして、
「赤ちゃん、生まれたってさ…!」
と一応伝えたが、うちの長女はその程度で起きるたまじゃありません。朝まで爆睡してた 笑

妻と次女が帰って来るまでの数日間。思った事は、
たった1人で出産と向き合った妻への尊敬の気持ち。
コロナ禍で次女の産声を聞く事が許されなかった事への悲しさとか憤り。
長女との絆が深まったような気がする幸福感。
赤ちゃんにばかり愛情が傾かないようにしなさいと己への忠告。
義母への感謝。
そして、妻から送られてきた次女の写真が可愛すぎる。

あの1年間は一生忘れられない私の記憶の宝物となった。

以前公開した【長女が産まれた日】という記事にも同じ事を書いたけれど、改めて
「妻を悲しませてはいけない」と思わせるのが旦那にとっての出産なんだと感じた。

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日々を綴りたい時計好き
地方で働く時計好きです! 私は時計の専門家ではありません。でも時計を見て思い出す人や景色があります。 このブログでは、そんな時計と人との繋がりを綴っていきます。 よろしくお願いいたします!
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